最高裁判所第三小法廷 昭和28年(オ)446号 判決 1955年10月18日
長崎県南松浦郡福江町福江郷
上告人
久保安市
右訴訟代理人弁護士
神代宗衛
同県同郡同町松山郷
被上告人
有川犬之助
同県同郡同町福江郷
同
塩塚利惣次
同所
同
岩本英一
同県同郡同町三尾野郷
同
真島馬吉
同県同郡同町福江郷
同
津元久吉
同所
同
山田政治
右当事者間の掛戻金請求事件について、福岡高等裁判所が昭和二八年三月一七日言渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人弁護士神代宗衛の上告理由第一点について。
原判決が本件無尽講が貸金業等の取締に関する法律による大蔵大臣の指定を受けたものであることを否認し同講が右取締法の対象とならない旨を判示し、その理由として同講が右指定を受けたという以上、上告人に立証責任があるのにその立証をしないからと説示していることは所論のとおりである。けれども、元来上告人の抗弁は「本件講会は右法律に違反し大蔵大臣の許可なくして組織されたものであるから無効のものである」というにあるので、この点について考えてみるに、右法律中その一六条によつて非営業無尽に準用せられる規定は単なる行政上の取締規定に過ぎず、たとえその規定に違反しても、それだけでは無尽講契約が当然無効となるものではないと解すべきである。さすれば原判決が上告人の右抗弁を排斥したのは結局正当であつて所論は理由がない。
同第二点について。
所論は、原判決が本件貯蓄組合契約は組合契約たる性質を有する無尽講契約であつて消費貸借契約ではない旨認定したのは、証拠に基かず若しくは著しく証拠の趣旨を誤解して事実を認定した違法あるものであるとし、証拠の取捨解釈を非難し、事実誤認を主張するものであるが、原審における当事者間に争ない事実と原判決挙示の証拠によれば原判示の右事実を認めることができる。論旨引用の大審院昭和四年(オ)四三一号同年六月二七日(論旨に二一日とあるは二七日の誤記と認める)第一民事部判決は無尽加入者が掛戻金を負担する行為が民法一二条の借財に該当するかどうかに関するもので本件に適切でなく原判決には判例違反はない。論旨は理由がない。
同第三点について。
上告人及び被上告人等が無尽講たる原判示貯蓄組合の会員であつて、上告人は昭和二四年八月一三日の講会において落札により金一一万七、〇〇〇円の講金の給付を受けその際上告人はこれに対し同年八月三〇日より同二六年七月一三日まで毎月二回計四六回に亘り一回に金七、〇〇〇円宛合計三二万二、〇〇〇円を講に掛戻し返済すべきことを約した事実は原判決の認めるところである。この認定によれば掛戻金債務は落札による受領講金を超えること金二〇万五、〇〇〇円に達すること所論のとおりであるが、原判決の確定した事実によれば本件貯蓄組合契約は組合契約たる性質を有する無尽講契約であつて消費貸借契約ではなく、右掛戻金債務はかような無尽契約に基いて発生したものであると解すべきこと原判示の通りである。そして本件無尽講において落札者たる上告人が原判示の通り講金一一万七、〇〇〇円を受領するに対し二〇万五、〇〇〇円という相当多額においてこれを超過する掛戻金を支払う債務を負担すべきことを約して右落札講金を受領する行為乃至その基礎となつた本件無尽講契約は、未だそれだけでは所論のように当然公の秩序又は善良の風俗に反し民法九〇条によつて無効となるのもというに足りない、又、利息制限法その他の法令に触れ当然無効とせらるべき理由はない。原判決には所論のような違法なく論旨は理由がない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 垂水克己 裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎)
昭和二八年(オ)第四四六号
上告人 久保安市
被上告人 有川犬之助
外五名
上告代理人弁護士神代宗衛の上告理由
第一点 原判決は本件講会は四十九名の会員か会員相互の金融を図る目的を以て組織した組合の性質を有する無尽講であつて貸金業等の取締に関する法律にいわゆる貸金業を営むものに該当しないことは勿論であり又同法の一部が非営業無尽にも準用されることは同法第十六条の規定するところであるが本件無尽講会が同法による大蔵大臣の指定を受けたものであることについては控訴人の何等論証しないところであるから本件講会は右取締法の対象となるものではなく控訴人の抗弁は理由がないと説示したのであるが大蔵大臣の指定は法律の附則又は政令であるから其調査は控訴人の論証を俟たず当然裁判所が自ら調査すべき職権調査事項といふべきである。
然るに原判決は自ら其調査をなさず控訴人に其立証責任を負はしめたのは違法なりと信する。
第二点 原判決は「次に控訴人は控訴人が落札により受領した講金は金九万二千円に過ぎす本件掛戻債務金三十二万二千円中これを超へる分はすべて利息であるから利息制限法所定の制限利息を超過する部分の請求は失当であるとする控訴人(上告人)の抗弁に対し成立と争のない甲第一号証及前示都々木、浦上両証人の証言によると控訴人は本件落札により金十一万七千円の講金の給付を受けこれに対し金三十二万二千円の返済義務を認め一回金七千円宛を合計四十六回に亘つて掛戻することを約し本件掛戻金債務は組合契約たる性質を有する無尽契約によつて発生した債務に外ならないのであつて消費貸借契約に基くものではないと断ずるのが相当であるから右債務については利息制限法の適用される余地はないものといふべきであり控訴人の抗弁は採用に値しない」と説示したのであるか右認定は証拠に基かす若くは著しく証拠の趣旨を誤解し不当に事実を認定した失当がある。右認定の資料である甲第四号証には其第六条に本組合の貯蓄金貸付の方法は希望者全部より記名入札をなさしめ開札の上最高引揚者へ貸付くるものとす、但同札の場合は抽籤を以て定む。
第七条貯蓄金借用者は同時に連帯保証参名以上を申出出席全員の承諾を求め借用証を作製し印鑑証明を添付し借用するものとすとあり、この部分のみか同号証中本件頼母子講の性質を認定する資料であつて其他には何等原判決認定の資料となるものは存在しない。且又証人山田伊勢松の証言の内容の何れの部分を以てするも本件頼母子講が原判決認定の如き単純なる組合なりとの証拠は存在しない。
従つて以上の証拠よりすれば寧ろ本件頼母子講の掛戻金は消費貸借と認定することが妥当である。大審院(最高裁判所)は従来の判例に於て「無尽講が一種の組合契約なりや消費貸借契約なりやは講規約其他諸般の証拠を審究して判断すべきものである」とするのであるが本件につき証拠として共通性を有する甲第一号証の連帯借用証書と甲第四号証並に前記山田証人の証言とを彼此考覈すれば本件頼母子講は一面講員相互間の金融貯蓄の目的を有する組合的性格と他面落札金については消費貸借契約が結ばれたことか明かであるから該契約は寧ろ一種の無名契約と認むるか、然らされば組合契約と消費貸借の二個の契約が同時に締結せられたるものと認むることが妥当なりと信ずる。原判決は一般に落札者は講金を受領するにあたつて講世話人に対し形式上消費貸借に基く借用証書を差入れるを通例とするけれどもこれは単に将来の掛戻金義務を明示し掛戻金取立の際の証拠を提供するに過きないのであつて旧来の掛金債務を消滅せしめ新に消費貸借上の債務を負担する更改的性質を有するものではないと解するのが相当であると説示しておるけれども斯くの如きは何等具体的な証拠によらず之を認定したのであることは頗る明かである。
参照判例 大審院昭和四年(オ)四三一号同年六月二十一日民一判
無尽の加入者が金銭の給付を受け掛戻義務を負担する行為は金銭の消費貸借行為に類似す。
要之に原判決は証拠に拠らず若くは証拠の趣旨を誤解し不当に事実を認定した違法があるから破毀を免れないと思料する。
第三点 本件は上告人(控訴人)が一回金弐千円掛の無尽講会に於て昭和二十四年八月十三日落札金を受領するにあたり講に対し昭和二十四年八月三十日より昭和二十六年七月十三日まで毎月二回(十三日と三十日)、一回に金七千円宛合計三十二万二千円を掛戻すことを約したこと、上告人が落札により受領した講金は金十一万七千円に過きないのに掛戻金債務は三十二万二千円中これを超へる金二十万五千円であることは原判決認定の通りであるが該金額が仮りに消費貸借上の利息でないにしても斯る高額の掛戻金は利息制限法其他各種金融関係法令の趣旨に鑑み甚しき暴利であることは疑いない事実である。仮りに原判決認定の如く之を組合契約上の債務であるとするも本件の頼母子講は貸金業等の取締に関する法律第十六条に「営業とし行はれない無尽のうちその規模が大きく公共の利益に影響を及ぼすと認められるもので大蔵大臣の指定するものについて準用する」と規定してあるのであるからその法意は本件の頼母子講(無尽)が仮りに大蔵大臣の指定するものでないにしても尠くとも金融取締法の対照たる本質を有して居ることは明かである。而して本件は落札者の落札金受領の対価として返済すべき金銭債務であることも又明であるから金融関係取締の諸法令と対比し本件の如き暴利行為は絶対に許さるべきものではないと思ふ。即ち斯る行為は民法第九十条に所謂公の秩序、善良の風俗に反する無効と行為と云はねばならぬ。
抑々本件の如く落札金に比し甚しき過当の高額の掛戻金を以て落札する如き頼母子講は落札せんとするものが金融上途方にくれて遮二無二それに飛びついて行つた結果であつて金利とか返済条件とかは物の数ではなく資金に飢えたものが「溺れる者藁をもつかむ」といふ事情に基くことは本件契約自体から当然推知出来るのであるから斯る行為を契約自由の原則でもつて有効であると解釈する訳には行かない。従つて原判決が斯る無効の契約を有効なりとして被上告人の主張を認容したのは失当であると思料する。
以上